動画とは疑似体験するもの

前回の記事で、再びBANされたということを書いてきた。その中で、冷静にいろんなことを考えた結果得るものもあったという話もしてきたが今回はその話をしていこうと思う。動画とは一体なんなのかということが少しだけわかってきただ。

 動画とは

あなたにとって動画とはどんな存在だろうか。暇つぶしであったり、好きな人がいるからなどいろいろな理由で動画を見ていると思う。しかし、それらのことはあくまでも表面上の話で、動画の本質としては違うのではないかと思っているわけだ。

 

動画とは疑似体験をするもの

俺がたどり着いた答えの一つとして、「動画とは疑似体験するもの」とした。俺は自分がよく見る動画を思い返していたが、どれも自分にはできないことなのだ。凄まじいい神体能力であったり、お金がかかることであったりとやってみたいけど自分ではできない。だから他人がやっているものを見るという感じだろう。スマホゲームのパズドラと言うものがあるが、この動画はよくみている。なぜ見ているのかというと、自分では最高難易度の敵に勝てないからだ。なぜ勝てないかというと無課金だからである。俺はこのパズドラというゲームを完全に無課金で遊んでいる。無課金には無課金なりの楽しみ方というものがあるわけだが、常に最新のダンジョン等を実装していくスマホゲームは無課金では常にたどり着けない一定の領域というものがある。この領域を遊んでいる人たちの動画をみているのだ。これは自分が到達することできない領域のプレイを疑似体験していると言えるのではないだろうか。

 

また、大物youtuberがよくやっているのが「◯◯してみた」という動画。内容としては非常にくだらなく、やろうと思えば誰でもできることなのだがそれをやるには無駄にお金がかかったり、部屋を汚してしまったり広い空間が必要だったりと少し敷居が高い。昔、「トリビアの泉」というテレビ番組があったのをご存知だろうか。この中の企画で「トリビアの種」というものがあった。その内容は非常にくだらないのだが、「実際にやってみたらどうなるのだろう」という部分を実現してくれるコーナーだ。このテレビ番組はネタ切れのためが終わってしまったわけだが、そのトリビアの種はyoutuberが受け継いでいるのではないかと思っている。自分で体験したいと思っているが、そう簡単にできないから動画配信者がやる。もしくはリクエストする。そうして動画を通して一つの答えを得る。これだって疑似体験だと思う。

 

 

誰に向けて放送するのか

もう一つ出した答えがある。俺がこれまで投稿してきた動画は2種類ある。1つは、2人で撮影した動画だ。もう1つは1人で撮影する動画。この2種類を投稿している。もともとは2人でやろうということから始まったため、特になんの違和感もなかった。しかし、約100個の動画を投稿するとあることがわかってきた。再生数というより、動画再生による広告収入は、1人で撮影した動画の方が圧倒的に多いのだ。これは、1人で撮影している動画の方が長く見てくれているということになる。youtubeは更新するだけで1再生となる。しかし、広告収入はしっかりと広告のエリアまで動画を進めないと入ってこないようになっているため、動画の再生数が広告収入に直結しているというわけではない。とにかく、1人で撮影した方が、みんなに見られているのだ。これはなぜなのかということを考えてみた。それは、誰に向かって放送しているのかという部分に答えがあった。

 

2人で撮影している動画は、いうならば友達とワイワイしている部分を動画にしたものだ。改めて見返してみると、

俺 → 友人

友人 → 俺

という形で動画内で会話している。要するに完全に内輪のワイワイを動画にしているだけなのだ。個人的にはすごく楽しいし、これで頑張っていこう!なんて思ったりもしていた。しかし俺1人で撮影するときはどうだろうか。

俺 → 視聴者

という形で話をしていくわけだ。言葉遣いだったり、話題の振り方だったり、視聴者にどう思ってもらうかという部分をよく考えて撮影していると思う。こういった違いが再生数に大きく差が出ていると考えたわけだ。

100個の動画の内、95個が2人で撮影して、5個が1人で撮影してると言った割合なのだが、1人で撮影した5個の動画だけで、95個の動画10倍くらいの広告収入がある。動画を最後まで見るという理由を、今回は、「誰に向けて放送しているか」という答えとして導き出したが、他にも理由があるかもしれない。とにかく今回はこれを一つの答えとし、今後の活動に生かしていくことにした。

 

 

2人撮影の動画はダメなのか

これはそんなことはないとは思っているが、今のままではダメなのだ。有名youtuberの動画をみても内容としてはほとんど変わらない。やっていることは同じ。ただワイワイしている内輪の動画だ。それなのに再生数は歴然。それはなぜかというと当然ファンの違いだ。ファンは、投稿者がワイワイしているところを見るだけでも楽しいわけだ。しかし、新参者の俺たちがワイワイしている動画を誰が見たいというのだろう。だからワイワイした動画を出すのはずっと先の話なのだ。では2人ではどんなことができるというのだろうか。それはまだ答えを出していないが、俺たち2人だからという強みを見つけないことには1,000個動画を投稿しても10,000個動画を投稿してもダメなんだと思う。まだ1人で投稿した方がマシだ。

 

 

最後に

動画というものを考える時間をくれたのは仮BANされたおかげだ。これがなかったら無意味な動画投稿を続けていたかもしれない。いや、無意味ということはない。内輪でワイワイだって意味があるといえばあるかもしれない。しかし、視聴者を増やしていくという話においては非効率であるということは間違いないわけだ。時間は限られているし、可能な限り早い段階で中堅と言われるくらいには成長したいに決まっている。であればもっと効率良く動画を作っていく必要がある。今回仮BANされてまだ復旧されていないがもし本当に全ての動画が消えてしまったとしてもそれはそれで受け入れよう。次はもっとうまくやるという話だ。とは言っても、当然BANされるようなことは一切していないし、文句を言いたい気持ちもかなりある。しかし、今までの100個の動画でわかったことがあったということが俺にとって大切だったという話だ。